多古と島

                             

もとは太平洋からの内海だったが 砂州が生まれて九十九里となり
外海からは取り残され 淡水化した湿地や湖が 多古(湖)という名にたどり着かせた
どこぞの土をまさぐれば 古来の貝に出くわすだろう
この宿がある集落「島」は 高い丘を配している
内陸なのになぜ「島」か ここに来れば合点がゆく

今の「島」は 拡がる田んぼに浮かぶようだ
島の東に沿って流れゆく栗山川 房総を上総と下総に分け 鮭が遡上する南限の川
春の土手の菜花や桜 色と香りを風が運ぶ

縄文の古くから交易が盛んだった
木をくりぬいた素朴な丸木舟は 全国出土の1/4が栗山川近辺だ
川と多くの湖に抱かれた民は 丸木舟で魚介を漁り モノとブンカを広きに紡いだろう
貝塚・遺構・古墳たちが それらを静かに語っている
時をゆっくりにしてしまう 朗らかで穏やかな栗山川の流れは
数キロ先の太平洋を終点にする九十九里へ
いにしえの時代から流域を肥沃な大地へと潤してきた
弥生人が水湧く小山の谷津から田を起こし
時代を刻んで流域の低地へと田園を広げたきた営みで
まほろばは今のここにもそっと漂う

そうして栄えた稲作で 中世に大荘園地となっていった
数多の勢力が過ぎ去る中で 房総に根を広げた千葉氏は この米たちの力を背景にした
室町期 そうした千葉氏の嫡流も 敵に敗れ敗走し
この島の丘の志摩城で 篭城の末に最期を遂げた
今は見晴らしのよい畑と変わり
丘陵には緑の名もなき下草たちや そこから立ち上がる桜たちが
いにしへの無念を穏やかに弔っている
畑の片隅にある可愛らしい八幡神社は 悲しい歴史をそっとイヤシロチへ変えてきた
桜の麓のベンチに腰掛ければ 気持ちよさで眠気に誘われるだろう

江戸時代 ここに暮らした日蓮宗不受不施派の人々は
キリシタン同様に幕府からの弾圧が続いた
法華経を信仰しない者から布施を受けず 法華経を信仰しない者には布施をしない
権力者にすら不受布施を貫き 厳しい弾圧を受け続けた
その末裔がいまだに住み続ける島集落 古地図の屋号のままに今へと住まい続ける

隠れて信仰を続けてきた人々のたくましい営みや知恵を 集落に垣間見る
信仰の場である正覚寺 集落の真ん中にあり
そこにたどり着けないよう 道は迷路だ
家々の門は道路と同じ幅で
道が土の時代にあっては 進もうもどこぞの家に入り込んで 行き詰まったことだろう

家々の境の生垣には 人っこ1人が通れる穴が
住職や狙われた人の逃げる抜け道 家々には 屋根裏や地下に隠し部屋があったという
箪笥に施した隠し階段が 今も寺に鎮座する
所々に残る小道は 今の時代に懐かしい

幕吏が来ても目的にたどり着けない仕掛けは 集落の歴史が創り上げた叡智のアート
いにしえから続く風に 稲穂が揺れて波となり 平原の彼方へうねり 去りゆく
太陽と月と星の軌道を 東も西も地平近くへ視野に許し 広すぎるまでの遠い空
虐げられた歴史を転嫁せず よそ人を受け入れる朗らかさに変えてきた島の人々の笑み
それらが築300年の古民家を 程よい距離感で開放的に覆ってくれる

島のお母さんたちが言った
「ここは過ごしやすいのよ」「気候もいいしね」「自ずとみんなで一緒にやるの」
「誰にも居場所があるんだからさ」「葬式代も必要ないしね」

古くて新しいコミュニティーの未来 ヒントが眠っているはずだ
だって確かにここにはゴミが落ちてない だから落ちていれば拾いたくなる
想いを馳せてる時間に ぽかっと縁側でくつろいでたら
ご近所さんが採り立て野菜を持ってきてくれる

なぜだろうか この古民家にいると
古来から継がれてきたすべての営みと自然が滲みあって なんともいえない穏やかな居心地になってしまう
築300年 この古民家に住んできたご先祖さんたち 集落に穏やかに暮らしている人たち
縦と横の糸を紡ぐ安心感が漂っているからなのか

この地で育まれる多古米や大和芋や季節の野菜たちを 人々の営みを
大いなる悠久の自然を 未来につなぐあなたの青写真を
ゆっくり満喫してほしい

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